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内科秘録 醫學 解説(1)

本間棗軒の内科秘録、巻の一「醫學」について、現代語で意訳をしております。
私は漢方の学者ではありません。ですので、「だいたいこんな感じかな?」という現代語の意訳を今の若い人にも解るような表現で私なりに書いてみました。

途中、難解なところも多々ありますが、最後の最後にちょっとグッとくるところがあるのです。
ぜひ、漢方医学に携わる若い方々に読んでいただきたいと思います。

内科秘録巻一.jpg本間棗軒 内科秘録 巻之一 醫學

醫は任重く責深き業にてその術を得るときはよく人を活かしその功大なりとなす。もしその術を失うときはまたよく人を害してその罪深きとなす。天下万民の壽夭(長寿と夭折)実に一刀匕ノ(ひとさじの?)得失に係わるるなれば常に慎むべし。秀才多識にして至誠をつくすにあらざればその術を得る難し。黄帝岐伯神農のはしばらく捨て論ぜず。伝に古の聖人は朝廷に立たず、必ず醫卜の間に隠れるといい、また不為良相為良医(良き宰相となりたければすなわち良き医者となれ)といえり。
これによってみれば、醫は聖人賢者の行うところにして実に貴き業なり。世に賤業小技のように心得るは孟子に癰醫を侍人瘠環とひとつに賤しめ論語に巫醫とならび称しておきたるゆえ賤しき業のようになれり。醫もまた儒者に小人儒君子儒あるかごとく君子にして之を行うときは貴くなり小人にして之を行うときは賤しくなるなり。孟子に癰醫といい論語に巫醫といいたるは即ち小人の醫を指斥したるにて、醫道を軽ろんじめたるるにあらず。儒は天下国家をも治むべき大業なれども之を学びて直ちに政を執るあたわず。醫は小技なれどもよく学び得るときは立に活人済世の功を立てる極めて多し。然れば醫學は儒学にも劣らぬ業というべし。

医ってのはその術によって人を活かすこともできるし、間違えば人を害することもあるし、その責任は重い。
昔の人が良き宰相になりたければ、良い医者になれといっているけど、医業というものはホントに聖人賢者の行う実に貴いものなのだ。儒学は天下国家を治めるからとても大きな仕事に見えるし、医学はそれに比べてみると小さな仕事に見えるかもしれないが、よく学んでこれを生かせば、結果として他の人を活かして社会に貢献することが大きいわけであって、儒学にも劣らない仕事というべきだよ。

本朝医道の分派多くあれどもその大體をいうときは古方学・後世学・西洋学・折衷学の四流にして各所長あり。この外にも自己の妄見をもって私説をたてる者あり。これは全く異端にして歯牙にかかるるに足らず。古方学の講ずべきところは汗吐下の三法を用ふる。湯茶を飲むと同様に覚え少しも難事には思わず。常に用いて奇効を収め世醫もこれがために皆大黄・甘遂・巴豆・瓜蔕・烏頭・軽粉等の毒薬を自在に用いるようになりたるは全く古方学の功というべし。しかれども僅かにその門に入りてその蘊奥を得ざる者はただ長沙氏(張仲景)の論と方とのみを固執しその外はいかほどの良薬にても採用せず、後世の書籍はすべて無益となして高閣に束ね妄りに攻撃の剤のみを用いて活きるべき者をも殺す者あり。これは古方学の弊なり。後世学の長じたるところは古方にて及ばぬところを色々と工夫し種々の薬品を試み新方を作り良術も多くなり薬製等もくわしくなりたるはこれ後世学の功なり。しかれどもその奥旨を得ざる者はとかく強陽滋陰というところへ眼を注いで自然と臆病になり大切の仲景方を捨て置き、いたずらに多味の薬方のみを好み、たとえ古方を用いるにもそのままは用いず、或いは合方或いは加減して用い疫などの胃実したるをも緩慢にして下すを失し見殺しにするは後世学の弊なり。

我が国の医道には色んな分派があるのだが、だいたいは古方医学(古方派)、後世医学(後世派)、西洋医学、折衷派の四流があって、それぞれに長所がある。この他にも、自分の説をたてて流派を名乗るものがあるけど、そいつらは歯牙に掛ける必要もない。
古方派は汗吐下の三法をもちいるのだが、大黄・甘遂・巴豆・瓜蔕・烏頭・軽粉などの作用の激しい薬物までをも自在に用いるところに古方医学の功績がある。
しかし、ちょっとだけ古方をかじってその奥深いところを理解出来ないやつは、ただ張仲景の傷寒論とその薬方にばかり固執して、それ以外の良い薬をさっぱり採用しないし、後世の書籍は役に立たねえとか言って読まないし、やたらと作用の激しい薬ばかりつかうもんだから生きられるものも殺しちゃう。これは古方派の弊害だ。
後世派医学の長所は古方では足りないところを色々と工夫して、様々な薬物を試しては新しい薬方を作っていて、良い技術もたくさん生んできたし、薬の調整にもくわしくなったし、これは後世派の功績だろう。
しかし、その深いところをつかまないやつは、とかく滋養強壮みたいな薬にばかり目が行ってしまって、自然と臆病になってるし、大切な傷寒論の薬方を捨ててしまって薬味の多い作用の緩慢な薬ばかり好んで使い、まあ古方を使ってみるっていっても適当な合方や加減をしちゃって、急いで下す必要があるような病気をみてもタイミングを失って見殺しにしてしまう。これは後世派の弊害だ。


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解説2へつづく